院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

ガジュマルとランドセル

 

自宅から勤務先への通り道に、私の卒業した小学校がある。金網のフェンス越しに、何本ものガジュマルが枝を張る。三年前の強い台風で、そのうちのいくつかが倒れ、傾いたまま再び根を張りなおしている。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」。否、この愛すべきガジュマルたちは、消え去ることもなく、いまだに現役で子供たちを見守っている。その小学校の創立百三十周年に際しての寄付金を募る手紙が届いた。「創立○○周年」、既視感が私を襲う。そして、小学校創立百周年の時に、寄稿文を依頼されたことを思い出した。本棚をひっくり返し、やっと見つけた百周年記念誌に、その文章を見つけた。大学での学業も専門分野に入り、試験勉強の合間を縫って、締切りぎりぎりで投函した記憶がある。少し恥ずかしい気もするが、以下掲載する。

 

ランドセル

 

卒業して何年になるのだろうか。指折り数えると不安になった。「少年老い易く、学成り難し。」ため息が苦笑にかわって指をほどいた。物理的な時間の流れというフィルターは過去を、より感傷的に、よりドラマチックにするものらしい。フィルター越しの世界を人は思い出と呼び、さまざまな演出、脚色を施し、幾度もそれを演じてきた。それは、それ自体文学たり得るし、私的な心の支え、生きる力にもなるだろう。そのような思い出というものは山ほどあるが、ここでは、時間の流れというフィルターの枠外で、小学校時代のわたしと、現在のわたしを結びつけているもの、そしてこれからのわたしにつながっていくものについて触れてみたい。

わが家の押し入れの奥に、古びたランドセルがある。背当ての部分が破れて、中のスポンジが露出している。テレビマンガのシールを貼ったあとがまだらになって残っている。国々の名前と、その首都を書き込んだ紙きれがくしゃくしゃになって入っている。

このランドセルを買ってもらったのは、小学校入学の時であった。当時はまだドルの時代で、値段は忘れたが、牛皮のかなりいいものであった。「六年間、持つのだからいいものを買わなくっちゃ。」と母が言ったような気もするが定かではない。そのランドセルを、わたしは以後六年問持ったわけである。今はどうか知らないが、当時は四、五年生になると、皆手さげカバンに持ちかえて得意になっていた。六年生になってもランドセルを背負っているのは、わたしを含めて二、三人であった。当時わたしは、六年生にしては体が大きく、小さなランドセルはいかにも不似合いであったようだ。登下校のとき、友達にからかわれることもあったが、手さげカバンに持ちかえようとは思わなかった。物を大切にするという見上げた道徳心からではない。ただ、当然六年間持つべきものだと考えていたように思う。それは親の教育のためもあろうが、わたし自身に自から芽生えたもののようにも思える。からかわれるのはくやしかったが、子どもながらに、「自分は自分」という信念があったような気がする。あるいは、他のことでは負けないぞ、と思う自負心がそうさせたかも知れない。そして、たかがランドセルくらいのことで他人を笑うような人たちを、それとなく軽蔑するすべをわたしは知っていた。だから、六年の頃には、古びたランドセルを、むしろ誇りに思ったくらいであった。

話がここで終わると、わたしは、さも優等模範生であったように思える。ところが、少し違う。五年生ぐらいからわたしはランドセルを左肩にひっかけて登下校していた。体が大きくなって両肩で背負うと、きつく感じたのは確かであり、まわりの人にはそう言っていた。でも、今考えると、それだけではなかったように思う。ひとつには模範生として見られることに対するささやかなレジスタンスであり、さらには一種の照れかくしでもあったのだろう。あるいは周囲(六年生になると大人ぶり、悪ぶる風潮があった)に対する、迎合であったのかも知れない。左肩にランドセルを背負い、右肩で風を切るように歩いていたような記憶がある。

わたしには、元来、俗にいう優等生的側面と、それをうとましく思い否定する側面が同時に存在していたのである。その点では、わたしは今も少しも成長していない。些細なことで人を笑い、ランドセルを笑った人と同じ種類の人間である自分に気づきハッとする。正しいことは信念をもってやり遂げようとする気持ちの反面、それに対する照れや、安易な妥協を許す自分に嫌悪を感ずることもある。

さて、小学校の頃のわたしと現在のわたしをつないでいるこのランドセルの中には、小学校時代のいろいろな記憶とともに、現在のわたしをつくっているさまざまなものが入っている。わたしはエピメテウス型の人間だから、いつの日かパンドラの誘惑に負けてランドセルの中味を外界へ逃がしてしまうだろう。その日に備えて、わたしはそのひとつひとつのものを、たとえそれが善に属するものであれ、悪に属するものであれ、宝石のように磨いておきたい。そうすれば、プロメテウスがわたしに残してくれたものが何であるのかわかるかも知れない。

ランドセルの思いを育んだなじみの校舎はすでになく、運動場も広くなり、すっかり様子がかわった。ただ、見おぼえのあるガジュマルだけが、百年という時の流れの無情と無常の中で孤立し息づいている。わたしはその木に確か登ったことがある。そう思うとなつかしさで胸がいっぱいになった。たぶん、わたしが木に登っているあいだ、そのたくましい根っこのあたりに、わたしのランドセルが、夢をいっぱいつめてころがっていたのであろう。

 

ちょうど三十年前の文章である。将来の私をも看破したような、生意気な文章である。いまと寸分も違わない。驚いたことに、三十年間私は文章力において少しも成長していないのだ。これには些か落胆した。しかも、文章力の停滞のみならず、優等生的側面とそうでない側面を鋭く指摘されて、自身の人間的成長にも疑義が生じてくる。三つ子の魂は百までとはよく言ったものである。しかし、気を取り直して考える。私はまだ、プロメテウスがパンドラの箱に残したエルピスを解き放ってはいないのだ。それが何なのかは解らないが、ガジュマルの記憶とともに心の中のランドセルにひっそりと仕舞い込み、左肩に引っかけて、右肩で風を切って歩いていこう。まだしばらくは。



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